姫路城(ひめじじょう)Hineji Castle

せかいいさん
かず
かず

ひめじょうについてりたいです。

 今回こんかいしょうかいするかいさんは、「ひめじょう」です。

ひめじじょう

 1993(平成へいせい5ねんに、「ほうりゅういきぶっきょう建造物けんぞうぶつともにほん最初さいしょかいぶんさんとして登録とうろくされました。

 ひめじょうは、兵庫県ひょうごけんひめにあります。

 ひめじょうはじまりは、1346ねんに、赤松あかまつによって、しろが作られたのが最初さいしょわれています。

 1333ねん赤松あかまつが、京都きょうとへいをすすめる途中とちゅう姫山ひめやまという場所ばしょに、とりでつくったのがはじまりとするかんがえもあります。

 ほんには、戦国せんごくだいといわれるだいがあります。

 それまでほんおさめていた室町幕むろまちばくちからていしました。

 1400ねん代後半だいこうはんから1500ねん代後半だいこうはんにかけて、おおくのしょうほんくに統一とういつしようとしました。

 たけ信玄しんげん信長のぶなが豊臣秀吉とよとみひでよしなどのしょう有名ゆうめいです。

とよとみひでよし の どうぞう

 戦国せんごくだいおおくのしょうは、ほかしょうたたかいをして、ぶんのもつひろげようとしました。

 たたかゆうすすめるためには、ほかしょうから簡単かんたんめられない必要ひつようがありました。

 そのような目的もくてきをもってつくられたのがほんおおくのおしろです。

 おおくのおしろには、天守閣てんしゅかくばれるたか建物たてものがあります。ほかしょうめてくるのをやくわりがありました。

とくがわいえやす の どうぞう

 戦国せんごくだいは、将軍しょうぐんになった徳川家康とくがわいえやすが、1603ねんばくつくるまでつづきました。

 だいになって戦いのない平和な時代になっても、将軍しょうぐん城主じょうしゅいえせいおこなしょとして使つかわれるようになりました。

 ひめじょうには、13のちがみょう48にん人物じんぶつ城主じょうしゅとなり、戦国せんごくだいだいごしました。

ひめじじょう

 めいだいになり、なかわり、おしろ必要ひつようなくなりました。

 おしろなかには、そのときに、こわされたものもたくさんありました。

 しかし、ひめじょうは、こわされることはありませんでした。

 太平洋戦争たいへいようせんそうで、アメリカと戦争せんそうし、ひめくうしゅうされた時も、かれないで、いま姿すがたのままのこりました。

 ひめじょうは、しろかべしろ漆喰しっくいられています。白鷺しらさぎはねひろげたようなうつくしい姿すがた有名ゆうめいです。

しらさぎ

 白鷺しらさぎじょうはくじょうばれることもあります。

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Hineji Castle

 The world heritage site introduced this time is “Himeji Castle”.

 In 1993 (Heisei 5), it was registered as the first world cultural heritage in Japan along with “Buddhist monuments in the Horyuji area”.

 Himeji Castle is located in Himeji City, Hyogo Prefecture.

 It is said that Himeji Castle was first built by Mr. Akamatsu in 1346.

 There is also an idea that Akamatsu built a fort in Himeyama in 1333 while he was advancing soldiers to Kyoto.

 Japan has an era called the Warring States period.

 The power of the Muromachi Shogunate, which had ruled Japan until then, has declined.

 From the late 1400s to the late 1500s, many military commanders tried to unify the country of Japan.

 Warlords such as Takeda Shingen, Oda Nobunaga, and Toyotomi Hideyoshi are famous.

 During the Warring States period, many warlords tried to expand their land by fighting with other warlords.

 In order to advance the battle in an advantageous way, it was necessary not to be easily attacked by other warlords.

 Many castles in Japan were built with such a purpose.

 Many castles have tall buildings called Tensyukaku. It had the role of watching other warlords attack.

 The Warring States period continued until Tokugawa Ieyasu, who became a shogun/general, created the Edo Shogunate in 1603.

 Even in the Edo period, when there were no battles and peaceful times, it was used as a place for shogun/generals and castle owners to live and for politics.

 At Himeji Castle, 13 different surnames and 48 people became castle owners and spent the Warring States period and the Edo period.

 In the Meiji era, the world of samurai was over, and the castle was no longer needed.

 Many of the castles were demolished at that time.

 However, Himeji Castle was never demolished.

 Even when Himeji was attacked by air raids during the Pacific War with the United States, it was not burned and remained as it is.

 The walls of Himeji Castle are painted with white plaster. It is famous for its beautiful appearance as if the white egret spread its wings.

 It is also called Shirasagi Castle or Hakuro Castle.

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